文化財

下倉山城跡(県指定文化財)

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坂戸城主長尾氏が築城したといわれる戦国時代の山城です。
魚野川と破間川との合流地点に位置し、河川交通を掌握するに重要な地点です。
現在も当時の郭の跡や井戸などが残っています。昭和52年、新潟県の史跡に指定されました。

【住所】新潟県魚沼市下倉
【見頃】4月~11月
【指定年月日】昭和52年3月31日


滝之又二本杉(県指定文化財)

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滝之又の諏訪神社境内にある大杉は、県文化財指定の天然記念物。
樹高50m程の二本の杉が並んで立ち、いずれも地上約6mのところで、また2本に分かれるという珍しいものです。この自然の素晴らしさを堪能して下さい。

【住所】新潟県魚沼市滝之又地区(諏訪神社) 
【指定年月日】昭和44年3月25日


十三仏塚(県指定文化財)

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1032年(長元5年)に、僧海信の創立と伝えられ、室町幕府三代将軍、足利義満の崇敬が厚かったと言われています。
十三仏塚は、東西に直列した13個の土盛塚で、造立の時期は南北朝時代から室町時代初期とみられます。
中央が最も大きく高さ2m左右6個づつ並んでいます。塚の南方に「おはじよう屋敷」という地名があり、昔ここに住んでいた者が築造した供養塚であると言われています。

【住所】新潟県魚沼市長松地区
【指定年月日】平成2年3月30日


大倉松坂馬頭観音(市指定文化財)

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1243年(鎌倉時代)に僧・自円が馬頭観世音を背負ってこの地を訪れ、安置された歴史ある観音像。一心に観音様の名前を唱えると、2世の祈願が成就すると言い伝えられています。

【住所】新潟県魚沼市大倉
【TEL】025-797-2012(普門院)
【指定年月日】昭和49年2月22日


おこり塚(埋蔵文化財)

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おこり塚の由来には、様々な説が考えられます。南北朝時代、この地に住んでいた「小黒」氏の供養塚を小黒塚と言い、その小黒塚が転化したという説。また、塚を粗末に扱うと祟りがあるなど、一種の民間信仰からきたという説などがあげられています。

【住所】新潟県魚沼市長松


舟方公園

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「オーイ舟方さんよ」の舟方公園は宇賀地橋のたもとにあります。舟を形どったベンチがあるなど、渡し舟が往来していた時代を感じさせてくれます。近くには、宮柊二の歌碑もあるので詠んでみてください。

【住所】新潟県魚沼市竜光 宇賀地橋


貞心尼歌碑

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良寛の愛弟子であった貞心尼は、医師の夫と暮らしていた魚沼市(旧 北魚沼郡小出町)を度々訪れていた。当時の生活の想いを歌に託しました。
この歌碑は、小出公園近くにあります。

【住所】新潟県魚沼市向山小出公園内


山岡荘八 文学碑

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魚沼市(旧 北魚沼郡小出町)出身で「徳川家康」などの歴史小説家山岡荘八の文学碑。「菊ひたしわれは百姓の子なりけり」と平和と生命尊重の想いが刻まれています。

【住所】新潟県魚沼市向山小出公園内 
【見頃】4月~11月


尾瀬三郎中納言立像

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平安時代、御妃をめぐり、平清盛との恋のさや当てから都を追われ、魚沼市(旧 湯之谷村)で最期を遂げた、尾瀬中納言三郎房利。そんな、悲しい恋物語の主人公を祀ったものです。

【住所】新潟県魚沼市(銀山平)


弥三郎ばさ 民話

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「弥三郎ばさ」は、魚沼市(旧 北魚沼郡広神村)に伝わる民話のひとつです。
その昔、 息子の弥三郎と嫁、赤子の四人で幸せに暮らして弥三郎ばさに、次々と不幸が訪れます。腕利きの猟師だった弥三郎を亡くし、また、嫁さんも死んでしまいました。残された婆さんと、空腹で泣きじゃくる赤子は途方にくれる毎日。
やせ細ってしまった赤子も、とうとう亡くなってしまいました。
以来この婆さんは、飢えと悲しみ、恨みから「鬼ばさ」となり吹雪の晩に村へ行き、赤子の事を思い出して、泣いている子供をさらうようになったのだそうです。
今でも、権現堂山には弥三郎ばさが住んでいたと言われる洞穴が残っています。

【住所】新潟県魚沼市長松


開高健 文学碑

開高健 文学碑

奥只見・銀山平にゆかりのある芥川賞作家、開高健氏の「河は眠らない」の文学碑。
開高氏が結成した「奥只見の肴を育てる会」が、この文学碑を建設しました。

【住所】新潟県魚沼市銀山平 石抱橋附近
【見頃】5月~11月※冬期閉鎖、閉鎖時期は雪の状況によります。


三島由紀夫 文学碑

三島由紀夫 文学碑

旧小出町がK町として登場する「沈める滝」より越後駒ヶ岳の山容を描写した一文が刻まれています。揮毫は中家の水墨画家・大島月庵氏。

【住所】新潟県魚沼市奥只見 国道352号、枝折峠付近
【見頃】6月中旬~11月※冬期閉鎖、閉鎖時期は雪の状況によります。